2003.04.13(勉強会@京都の備忘録)

イギリスで知り合った人々とちょっとした勉強会をしようということになり、京都で集まりました。その時の発表で感じたことなどを少し書いてみたいと思いま す。大半は勉強会中に言ったことだろうとは思いますが、一応記しておきます。当事者の方々からは、異論、反論などをお寄せ頂ければ、HP上で議論ができる のではないかと楽しみにしております。もちろん私の発表に関してのコメントもお待ちしております。

麗澤大学大学院の田中彰さん
田中さんは、「文末のイントネーション: 機能と場面」と題して、博士論文の構想を提示した。日本語のイントネーション研究においては、文末音調と助詞を合わせて考察しているものが多い。そこで、 それらを分離できるよう、数多くの文例(つまりコーパス)に当たり音調の機能とその場面を明らかにするものである(と私は理解しましたが…)。
勉強会中にも発言した点ですが、やはり「場面」の記述にどのような枠組みを用いるか、という点が問題になるであろうと 思いました。「Aという場面で、Bという助詞が用いられ、Cという音調が用いられていた」とする時に、やはり一番解釈が割れそうなのが「A」の部分だと 思ったからです。
それから、いくつかの実験(あるいは調査)において、焦点が当てられている助詞は「よ」のみであった点も気になります。他の助詞は大丈夫なのか、なぜ「よ」なのか、などの疑問が沸きました。
最終的な目的として、Bradford(1988)の”Intonation in Context”のようなものを作る、という点が楽しみな点であります。

修道大学の岡田あずささん
岡田さんは、「シャドウイングを通して再生された英語学習者の音声分析‐イントネーションに焦点をあてて‐」と題して、調査結果を報告した。大学生にシャ ドウイングを用いた指導を半期行い、録音した音声がどれだけ英語母語話者による音声に近づいたかを考察したものであった。
シャドウイングしながら録音したものが英語母語話者と同じかどうかを確認しており、実際大学生が自由発話などで話した ときに練習したイントネーションを保持しているかどうかについては明らかではない、という点は今後の課題と言えましょう。この点については、勉強会でも述 べた通り、徐々に発話の自由度を上げていくことで段階的に大学生の音調習得が明らかになると考えます。
最近、英語教育の実践においては、シャドウイングは多く用いられているようです。もちろん、通訳技術向上のためのもの をそのまま用いているわけではなく、音読と混ぜて使っているパターンが多いのではないでしょうか。つまり、本文の理解をしてから、あるいは本文を見なが ら、CDや範読に合わせて声を出す、というものです。

東京外国語大学(学生)の石崎清子さん
石崎さんは、bath-wordsの音声変化について辞書を基に考察したものを提示した。
辞書の版を基にその変化の変遷を見ていく、ということで、版と版の間に起こったことの変数が多すぎるであろう点が、発表時にもみなさんから出た懸案となりました。変化の理由には、背景に様々なものが介在するだろうからです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です