2002.05.28(日本英語音声学会関西・中国支部第5回研究大会@備忘録)

今回の目的はまず、シンポジウムである「英語教育における音声学の役割とその手法」であった。昨年のシンポジウムでもパネリストであった南條健助先生や豊島庸二先生に加え、山本武史先生、中島直嗣先生がパネリストであった。
シンポジウムを受けて直感的理解として私が持ったのは、音声学の知識、知見の応用例を提示するというものであった。 で、実際にそうであったと思われる。「応用」はつまり「記述・原理原則の伝達」と考えられているのではないかということであった。いずれのパネリストの述 べる音声学的記述や原理原則に関しては、「確かにその通り」と思えるものが多く大いに納得はするのだが、はたと「何をどこまで言って(指導して)、どうや るんだ」という疑問の内、「何を」の部分にのみ答えが出ていないということに気付いた。今日主張された全てを学生(あるいは生徒)に伝えることは果たして 有効なのか、ではどうやって伝えるのか、ということに関しては今後検討する必要が大いにあると思われる。
南條健助先生の発表は、「ほうほう」と頷きながら聞いていた。先生のきれいなアメリカ発音や時折見せるイギリス発音 に、うらやましいなぁと思いながら聞いていた。まずカナ標記についてはわかり易い説明がなされ、島岡先生との違いが明確になっていた。そして本題のリスニ ングにおける原則10であるが、これに関しても頷きながら聞いていたが、それらの原則を「選ぶ原則」とは、という疑問が浮かんだ。こうした「リスニングの 原則その10!」みたいな類書はたくさんあるが、それらを提出する際の音声学的原理原則、また選択の際の原理原則に関してきちんと整理したものを今のとこ ろ見たことがないように思える。今後のネタとして使えるだろうか。
そして、他の発表はちょっと飛ばして(自分がキチンとついていけなかったのが中心的理由です。好みとかはまったくない です。)、自分の興味の所在上、「英語教育における音律理論の応用」について少し考えてみたい。音読などを行う際に注意すべき点として、1)文の区切り、 2)文強勢の位置、3)調子の選択と意味、の3つをミニマムエッセンシャルズと設定し、それぞれの背景理論を解説した発表であった。まず、1)の区切りに ついては、これまでの研究において音調の単位を設定することに困難を覚えていることに触れ、統語構造とのある程度の一致を根拠に教育的には統語構造を基に 考えることを提案している。また、リズム群としてfootを用いることが有効であると考えており、統語構造と合わせてHallidayの枠組みを用いる有 効性を論じていた。2)の文強勢の位置に関しては、主語や目的語の方が動詞よりも強勢を受ける、という原則や音調群の最後の語彙項目が強勢を受けるといっ た原則などが用いられると述べていた。そして、3)の音調に関しては、基本的な上昇、下降を取り上げることとし、その意味合いには今井(1989)の断 定、判断保留を用いることとしていた。
と、これらを聞いて一応スッと腑に落ちたように思った。高校生、大学生あたりにはこうした感じでいけそうやなぁと思え た。しかしながら、以前「どのように」という問題は残る。しかし一番この音律の発表が「だれに」、「何を」、「どの程度」という面がはっきりとしていたよ うに思われる。理論的な進展と、教育項目として提示したものとの乖離がどの程度だったのか、をこうした音声プロパーの方々に伺うべきだったかと思われる。 惜しいことをした。
他の発表について思ったことを少し。発音記号の導入による音声認識の向上に関する発表に関して、発音記号を導入したから、という因果関係はなかったように思えるし、発音指導を行ったら音声認識が上がったということではないのかなぁと。
また、音声合成による強勢の位置の認識に関する研究もあった。やはり英語母語話者はきちんと強勢を認識しているようで あることが分り、納得した。語末は音声合成の不利な点が出たため、若干の認識の低下が見られたが、自然降下と変化の度合いが変われば恐らく高い認識度で あったことであろう。ここで思ったのは、じゃあ意図などの情報はどうなのかなぁということで自分のことを思い直すいいきっかけになりました。
最後の講演は私少しグロッキーでした。ごめんなさい。でも、プロソディーの各要素を上手く統合していきましょうよ、という話に関しては理解できたし、同意する内容であった。

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