2003.04.19(NHK教育での「わくわく授業-わたしの教え方」を見て、の感想)

4月17日にNHK教育にて放送された「わくわく英語授業‐私の教え方‐」(田尻悟郎先生編)、『「5分刻み」で英語が好きになる』をみての備忘録を記すことにします。これまで通り、完全に個人的な備忘録であり、感想であるという点を了解して頂ければと思います。(http://www.nhk.or.jp/wakuwaku/

田尻悟郎先生の授業を流れに沿って見てゆき、その際の「5分刻み」に焦点を当てた番組構成となっていた。授業の流れは、以下の通り。
60秒クイズ(日本語→英語を1分でいくつ言えるか)(5分)
書き取り(最後に言った文を書き取る)(5分)
フォニックスカルタ取り(5分)
Small talk(立場を決めて自分の意見を述べる)(35分)
英会話(Small talkに教員も混じり意見を交換)

最初に私見を述べると、NHKが「5分刻み」を大きくフィーチャーしたのはポイントがずれているのではないかと思いました。理由を以下で述べたいと思いま す。番組中、田尻先生が強調していた点は、英語は体育や音楽と同じ実技教科であり、練習しながら身に付けるものである、というものでした。運動と全く同じ で、ダラダラと反復練習をするよりも、目的意識を持って短時間でも集中して練習するのが必要になります(筋トレしながら、どの筋肉を鍛えているかを意識し ているかのように?)。そうなると、必然的に5分という程度の時間が一つ一つの活動(と言うより練習メニュー)には丁度よい程度になります。これは、順番 的に5分が先にきたのではない、ということを意味します。例えば、「今の子どもたちは辛抱する力がないから、5分ぐらいがいい」というものとは異質のもの ではないか、ということです。
長い目で学生の能力伸長を捉え、その中でsmall stepsを位置付けていく、とも先生は述べていました。5分1セットの活動は、そうしたstepの一段なのだという自覚が教師、学生ともに必要だということを表していたんだと思います。
それから、環境作りにこだわっていた点、動機付けにこだわっていた点も興味深かったです。「音楽室や美術室に来るよう に、英語の部屋に来る」という言葉は機材にお金を掛けたLL教室よりも動機付けが高いのではないかと思わされました(あ、まぁ機械系が苦手なのもあります が…)。
もう一つ、注目して見たのは、「自学ノート」を継続して行っていることでした。先生の著作や院生時代の後輩の方をみよ うみまねで、非常勤先などで「自学ノート」(もどき)をやっていただけに、非常に興味深く見れました。ノートへのちょっとした一言は学生に響いているの は、分っちゃいるけどそうはできないことだと思います。日々のコミュニケーションが現れているんでしょう。
一つ考えさせられたのは、こうした「とびっきりの授業(NHKホームページより)」を見るのはもちろん興味深いのです が、ここに至るまでの道のり(あるいは試行錯誤)が見たいなぁと思ったことです。田尻先生がこうした授業に行き着いた経緯、考えの道のり、などです。ある いは、田尻先生(他、とびっきりの授業をする先生)のもとにやってくる教育実習生が格闘するドキュメンタリーとか…。要するに、過程が見たい、追体験した い、ということなのかもしれません。(19.04.2003)

2003.04.13(勉強会@京都の備忘録)

イギリスで知り合った人々とちょっとした勉強会をしようということになり、京都で集まりました。その時の発表で感じたことなどを少し書いてみたいと思いま す。大半は勉強会中に言ったことだろうとは思いますが、一応記しておきます。当事者の方々からは、異論、反論などをお寄せ頂ければ、HP上で議論ができる のではないかと楽しみにしております。もちろん私の発表に関してのコメントもお待ちしております。

麗澤大学大学院の田中彰さん
田中さんは、「文末のイントネーション: 機能と場面」と題して、博士論文の構想を提示した。日本語のイントネーション研究においては、文末音調と助詞を合わせて考察しているものが多い。そこで、 それらを分離できるよう、数多くの文例(つまりコーパス)に当たり音調の機能とその場面を明らかにするものである(と私は理解しましたが…)。
勉強会中にも発言した点ですが、やはり「場面」の記述にどのような枠組みを用いるか、という点が問題になるであろうと 思いました。「Aという場面で、Bという助詞が用いられ、Cという音調が用いられていた」とする時に、やはり一番解釈が割れそうなのが「A」の部分だと 思ったからです。
それから、いくつかの実験(あるいは調査)において、焦点が当てられている助詞は「よ」のみであった点も気になります。他の助詞は大丈夫なのか、なぜ「よ」なのか、などの疑問が沸きました。
最終的な目的として、Bradford(1988)の”Intonation in Context”のようなものを作る、という点が楽しみな点であります。

修道大学の岡田あずささん
岡田さんは、「シャドウイングを通して再生された英語学習者の音声分析‐イントネーションに焦点をあてて‐」と題して、調査結果を報告した。大学生にシャ ドウイングを用いた指導を半期行い、録音した音声がどれだけ英語母語話者による音声に近づいたかを考察したものであった。
シャドウイングしながら録音したものが英語母語話者と同じかどうかを確認しており、実際大学生が自由発話などで話した ときに練習したイントネーションを保持しているかどうかについては明らかではない、という点は今後の課題と言えましょう。この点については、勉強会でも述 べた通り、徐々に発話の自由度を上げていくことで段階的に大学生の音調習得が明らかになると考えます。
最近、英語教育の実践においては、シャドウイングは多く用いられているようです。もちろん、通訳技術向上のためのもの をそのまま用いているわけではなく、音読と混ぜて使っているパターンが多いのではないでしょうか。つまり、本文の理解をしてから、あるいは本文を見なが ら、CDや範読に合わせて声を出す、というものです。

東京外国語大学(学生)の石崎清子さん
石崎さんは、bath-wordsの音声変化について辞書を基に考察したものを提示した。
辞書の版を基にその変化の変遷を見ていく、ということで、版と版の間に起こったことの変数が多すぎるであろう点が、発表時にもみなさんから出た懸案となりました。変化の理由には、背景に様々なものが介在するだろうからです。