会議日。
その後、前センター長、前共通教育部長の慰労会。お疲れ様でした、って私なんかが言えないのですが、そういう会。
明日から加藤先生がオーストラリア。私にもチャンスはあったけど、法事やらなんやらと重なったのもあって行けなかった。残念。またの機会に。前任校のオークランドは無事に行ってるのだろうか、と思いをはせてみる。
comfortably intelligible, comfortably intelligent
そうありたいな…ということで。
会議日。
その後、前センター長、前共通教育部長の慰労会。お疲れ様でした、って私なんかが言えないのですが、そういう会。
明日から加藤先生がオーストラリア。私にもチャンスはあったけど、法事やらなんやらと重なったのもあって行けなかった。残念。またの機会に。前任校のオークランドは無事に行ってるのだろうか、と思いをはせてみる。
広島に出張。広大の外国語教育研究センターの年次報告会に参加するため。
午前中はセンターの取り組みの報告。全体の印象として、構成員の先生方が同じ方向を向いて大学の外国語教育の改革に取り組んでいるのがひしひしと伝わってきた。お話させて頂いた先生曰く「当たり前ではあるのだけど、本来そうあるべきで、ここはそれができている」と。そうだよねぇ、と。ここをきちんと持ち帰って、自分のところに反映させることができればいいだろうなぁと。
午後は田尻先生の講演。どう生徒・学生を巻き込んでいくか、と言ったあたりが中心かなぁ。この辺の話も、午前中の話を思い出しながら、そっちにひきつけて聞いていた。
帰りは奥さんと心と合流して一緒に帰新。久し振りに3人揃いました、が心が恐ろしく夜更かしをして、奥さんがヘロヘロに(泣)。
朝はPEPのデータベース作りの立会い。学生によるプレゼンをネイティブがカバーしたらどうなるか?というものを蓄積している。学生のものを見ているので、その変化を面白く感じながら見させてもらいました。また、当たり前なのだけどネイティブによってそのカバーの味付けが異なるところも興味深い。
生協でパンを買って研究室に戻っていると、何やら見た顔が。前任校での教え子だった。まだ先なのに、編入試験の過去問を取り寄せる、ということらしい。元気そうでなにより。
奥さんと心は広島なので、誰もいない家に帰る。のびのびと言えばそうなんだろうけど、さみしい部分もあるわねぇ。
と、言いつつ心がいるとなかなか観れないので、以前買っておいたDVD “son of Rambow” を観る。イギリス映画で、子供を扱って、ってずるいわぁ~、って感じで面白かった。最後はちょっと泣かせるところもあったし。でもって、『ランボー』を観て、感動した子供が映画を作るって…、スタローン、シュワ、ジャッキーらへんを見て中学時代を過ごした私ら世代の思い出をくすぐり過ぎやわぁ。日本の公開はしないのかな、もったいない。
あと、昨日だけど “the bank job” も観る。こちらは公開されたようだけど、さほど話題にならなかったのかなぁ。こちらもイギリス映画で、Jason Statham主演、とくれば観ないかんやろう、と。前半部分は伏線を張るためにちょっと時間がかかったけど、中盤からぐいぐいといろんな立場が絡み合って最後までもっていかれる。
結局のびのびしてる!?
広島にて、奥さんのお母さんの一周忌法要。いろいろ思うことはあるけど、うまく書けないなぁ。私のような立場の人間がいろいろ書いても、というところはあるのかもしれない。 …ならここにも書くな、と言われるかもしれないけど、自分の出来事としては大きいので、それを記す意味で書いておきたい。
奥さんと心はもうしばらく広島に残るので私だけ帰神。新幹線、地下鉄、阪神で家に帰るのは初めてだったが、まぁ悪くはないか。
前任校の部活の追コンがあったもよう。5年生の学生が「あるんですけど来ます?」ってメールで言ってくれた。言ってくれただけで幸せな気分になりました。ありがとう。いよいよあの学年が卒業なんだなぁ。
<読了>
山田雄一郎、大津由紀雄、斎藤兆史. (2009). 『「英語が使える日本人」は育つのか? 小学校英語から大学英語までを検証する』. (岩波ブックレットNo.748). 東京: 岩波書店.
帰りの新幹線で読む。最初に山田先生が戦略構想への疑義を唱え、3人がそれぞれの提案をあげつつ、鼎談において3人が意見を交わしていく、という形式。3人に共通して、1)言語の学習には母語であれ外国語であれ基盤となるものがあり、それをきちんとしましょう、そのためには母語をちゃんとしたらいいのでは、言葉への気づきを促せばいいのでは、ということ、2)言語の学習ってそんなに楽なもんではないよ、と知っておきましょうということ、3)きちんとした教材づくり、人材育成に努めましょうね、という点。すべて真っ当で、間違っていないよなぁ、と納得しながら読む。なぜこの真っ当な主張が広がらないのかなぁ、と大いに疑問。
缶詰のお仕事の続き。
帰って、ばたばたと準備をして奥さんの実家の広島へ。車で行ったので、途中の休憩を入れて4時間半ぐらいかなぁ。心は大半はチャイルドシートに素直に座ってくれてた。
奥さんは習い事が今日で最後ということだったが、朝財布を忘れて取りに戻ったせいで遅刻したって…。これまで無遅刻無欠席だったのに(苦笑)。ともかく、半期お疲れ様。これから協力して一緒に継続していきませう。
本日は入試、ってことで、受験生がたくさんいた…。帰りも終わったばかりの受験生がたくさんいた…。
私は監督とかはなかったので、先日のPEPの報告書をどう書くか、前年の報告書を読んで悩んでいたりした。
<読了>
田村明子. (2008). 『英語がうまくなる人 ならない人』. (生活人新書). 東京: NHK出版.
英語がうまくなる人、ならない人を筆者の経験からまとめたもの。これといった新しいものはないけれど、どれも「まぁそうだわなぁ」と思う要素。うまくなる人、へのきっかけ作り、動機付け、が教育に求められている部分でもあるんだろうけどなぁ、と。
留学してもその時間を無為に過ごしてしまっている人の描写にはうなづくところが多かったなぁ。その辺は、『留学で人生を棒に振る日本人』にも事例がいろいろと書かれていたけど、それでもなお「留学(ホームステイ)=英語ペラペラ」幻想が根強いからなぁ。
シラバスをいじったり。後期の反省をどう組み入れていけるかなんぞを考えてみたり。
昼は定例会議。3月の予定などを確認。
帰りにチャイルドシート(ベビーシート?)を物色。ちょっとおっきくなると、えらく作りが簡単になるなぁと。3つぐらいの候補の中でさんざん悩んだ挙句、購入。今までのバックルタイプからインパクトシールドに変わるので、多少慣れるのに時間がかかるかなぁ。ぐずらないでね。
<読了>
本田哲也. (2009). 『戦略PR 空気をつくる。世論で売る。』. (アスキー新書). 東京: アスキーメディアワークス.
商品の広告を打つ前に、それを購入する「空気をつくる」。この人物が適任であると投票する「空気をつくる」。ということで、最初は情報操作とか扇動とかっていう、筆者が指摘するところの誤解をしていたのだけど、実際、こういう戦略っていろんなところにあるなぁと。製品や人間を売り込むだけでなくって、いろんな物事に関して説得力があるっていうことは、まず「空気」が醸成されている上でないとかなぁと考えた。学会発表しかり、論文しかり、授業もそうだろうか。敷衍し過ぎかな?
どうもだめだったなぁ。
大学院のシラバスを検討。後期の概論的なもののテキストに悩む。追試の成績処理なども。その他もろもろ。だけどグズグズ…。
帰ると心は今日は昼寝なしらしく、このまま食事、風呂となだれ込んで早めに寝かせる作戦に。作戦が功を奏し、9時前にはご就寝。
ということで、wowowでアカデミー賞の再放送やってたのでそれを流しつつ、仕事や読書。
日本の作品2つが受賞したということで、大きなニュースになっているようだけど、『スラムドッグ$ミリオネア』の快進撃がすごい。ダニーボイル、ここんとこ当たってなかったから、うれしいだろうなぁ。観ないとなぁ。うつむきかげんでひたすらお世話になった人を挙げる様子がほほえましかった。
それにしてもアカデミー賞の中継、ひとつの番組としてしっかり見せるなぁと思いながら見てた。
土曜日。今日はPEP2の大半の学生がオーストラリアに飛び立った日。淡路での頑張りをそのまま持って行って欲しい。日本に残った学生も負けずに頑張って欲しい(淡路であれだけ出来た訳だから、日本に残っていても絶対出来る!)。
で、私はというと、博士課程後期の入試日なんだけど、後期は担当外なので、今日はお休み。奥さんの習い事日ということで、心とお留守番。
超夜型になった心の体内時計を昼型に戻すべく、午前に公園、午後に阪神電車を見に散歩、と活動を入れる。結果、少しだけましになったかなぁ、という程度。毎日振り回されております…(苦笑)。
日曜日。今日も心の体力を奪うぞキャンペーンで、三宮に出てボーネルンドで遊ばせてみた。結果、こっちが疲れた(泣)。
<読了>
田邉祐司、ティモシー・ライト. (2009). 『1日3分 脱「日本人英語」レッスン』. (朝日新書) 東京:朝日新聞出版.
『Asahi Weekly』の連載記事の新書化。表現や文法的知識はあるが、実際に使うと怪訝な表情をされる、やりとりがぎこちなくなる、と言った経験は多くの人があると思う。そうした知識は語用論に基づく知識が不足しているために起こると著者は述べており、その知識を「運用知」と名付けている。こうした運用知を必要とする事例を集めてネイティブの意見も含めながら解説しているものが本書。
作文を見てても、スピーチやプレゼンを聞いていても、何かがひっかかる、そんな時は往々にしてこの運用知に問題がある時ではないかなぁと思う。それって、うまく教育の俎上にのっけられないものかなぁ。こうした書籍を通して、自らの経験から、教員などがエピソード混じりに説明、ぐらいしか思いつかないんだけどねぇ。この辺、語用論的能力を育成する指導に向けての何かアイデアがあればいいなぁと、考えながら面白く読めました。